最近、起業する方の相談を例年より多く受けていますが、皆さん起業時から「労務管理を適正にしたい」「スタートだからこそ襟を正したい」という意識を持っているので、私が開業した10数年前と環境も大きく異なっているように思います。
これからお伝えするさまざまなケースは、従業員と良好な関係が保たれていたり、利害関係が一致していたりすれば、問題が表面化することはないのかもしれません。
しかし、適正な労務管理を実施していないままで、ひとたび従業員と何等かのトラブルが発生した場合、会社は一気に追い詰められてしまうでしょう。下手な労使トラブルを誘発しないためにも早め早めに適正化を図ることが重要です。
よりイメージがつきやすいように、
「従業員に何て言われてしまうのか」
「損害は?」
「対策は?」
という項目に分けてお伝えします。
36協定を届け出ていない、もしくは、労働者代表の選出方法が不適切なとき
従業員に何て言われてしまうのか?
損害は?
36協定とは労働基準法36条に基づく協定であり、同法に違反した場合には「6か月以下の懲役または30万以下の罰金」という刑罰が定められていますが、よほど悪質なケースではない限り、すぐさまこの刑罰が適用されるわけではありません。
それよりも「違法な残業をさせている会社」という不名誉なレッテルを関係が悪化している従業員から貼られ、組織が不穏な空気に包まれるという目に見えない損害が発生してしまうでしょう。
対策は?
迅速かつ適正に36協定を締結し、事業所を管轄する労働基準監督署に届出をしましょう!
36協定の適切な締結は、行政等の調査や従業員とトラブルになるような「リーガルチェックを要求される場面」で言及されることが多く、逆を言えば、そのような事態がなければ、必要性を感じる場面は少ないかもしれません。
ただ、1分でも法定労働時間を超えて残業をさせているのなら、適法に組織運営をするためには必要な労務管理ですし、行政等の調査や従業員とのトラブルに遭遇すれば「締結しておけば良かった・・」ということになりますので、やはり粛々と1年ごとに更新を続けていきましょう。
労働時間管理が杜撰(ずさん)なとき
従業員に何て言われてしまうのか?
損害は?
従業員が主張する労働時間に対して反論する材料を会社が持たなければ、その労働時間分の残業代を2年(2020年4月1日以降は「3年」※賃金支払日ベース)遡及して支払わなければならないことも・・。
対策は?
タイムカード等の客観的に労働時間を把握できる勤怠管理システムの導入を検討しましょう。もし、システムの導入が困難なときは自己申告による出勤簿※を適切に管理するようにしてください。
また、押印等で済ませるような出勤簿には留意が必要です。以下の「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」を参考にしてください。
◆原則的な方法
①使用者が、自ら現認することにより確認すること
②タイムカード、ICカード、パソコンの使用時間の記録等の客観的な記録を基礎として確認し、適正に記録すること
◆やむを得ず自己申告制で労働時間を把握する場合
①自己申告を行う労働者や、労働時間を管理する者に対しても自己申告制の適正な運用等ガイドラインに基づく措置等について、十分な説明を行うこと
② 自己申告により把握した労働時間と、入退場記録やパソコンの使用時間等から把握した在社時間との間に著しい乖離がある場合には実態調査を実施し、所要の労働時間の補正をすること
③ 使用者は労働者が自己申告できる時間数の上限を設ける等適正な自己申告を阻害する措置を設けてはならないこと。さらに36協定の延長することができる時間数を超えて労働しているにもかかわらず、記録上これを守っているようにすることが、労働者等において慣習的に行われていないか確認すること
※労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドラインより抜粋
そもそもタイムカードや出勤簿がないという状況はどうしようもありませんが、会社としてはタイムカードや出勤簿を作成していても、知らず知らずのうちに未払い残業代が発生しているというケースもあります。
特に、シフト制を採用している会社(1か月単位の変形労働時間制を導入)は、労働時間管理が非常に煩雑になるため注意が必要です。
また、労働者が勘違いをして未払い残業代があることを主張してくるというケースもあります。その場合は、まず冷静にその主張をヒアリングし、本当に未払い残業代が発生しているかどうかを精査します。そして、精査したうえで、本当に未払い残業代が発生していれば、適正に支払う必要があります。
ただ、その精査自体、かなり時間を要しますし、専門知識が要求されるため、本業で忙しい方は、一定の出費は発生してしまいますが、社労士等の専門家へ依頼することを検討してみてください。
休日と休暇の管理を曖昧にし年次有給休暇の取得日数も不明なとき
従業員に何て言われてしまうのか?(特に退職前)
損害は?
正しくは年休を本来の趣旨どおりに取得させていれば、心身がリフレッシュされ、集中して仕事に取り組むこともできたかもしれません。しかし、退職時にまとめて取られてしまうと、そのような効果は一切なく、ただ単に年休消化分の給与を支払うだけという残念な活用法となります。
対策は?
休日や休暇を就業規則に規定し、かつ、タイムカードや出勤簿でも明確に区分して、管理するようにしましょう。
休日と休暇を曖昧に管理している会社が、これまで従業員に与えていた「法を上回る特定の休み」について、「休日ではなく有給休暇だ」と主張したとしても、明確にそれを説明できる根拠資料がなければ、有給休暇扱いとすることには無理が生じてしまいます。休日と休暇を明確に区分し、誤魔化しのない労務管理をまず徹底することが、大前提です。
社会保険や雇用保険への加入が不適切なとき
従業員に何て言われてしまうのか?
損害は?
従業員の申し出が正しければ最大2年分の会社負担の保険料が発生することも・・・。雇用保険なら社会保険と比べて料率も低いので負担も大きくならないかもしれませんが、社会保険(健康保険や厚生年金保険など)となれば、従業員の給与にも依りますが、かなり大きな負担となってしまうでしょう。もちろん、従業員負担分は従業員から徴収することになります。また状況にもよりますが、徴収方法には一定の配慮も必要でしょう。
対策は?
「従業員が加入したくないと申し出たから」を理由として、加入させなかったことの正当性を訴える方もいますが、認められるものではありません。なぜなら、社会保険や雇用保険は従業員の加入希望の有無にかかわらず、加入要件に該当すれば、強制的に加入手続きを踏む必要があるからです。加入要件を手続き担当者が明確に把握したうえで、適切に加入手続きをしましょう。
原則は労働契約書で定められた就業日数や時間によって、どの保険に加入するかどうかを判断します。労働契約書には、社会保険の加入有無や雇用保険の加入有無を設けていない会社も多いと思いますが、ことパートタイマーやアルバイトに関しては、この欄を設けて、入社時に明確にしておくことが本当に重要です。このひと手間を惜しむことで、後から、「私は加入したかったのに、加入させてくれなかった」というような無用なトラブルに発展するのです。
月によって労働時間が変動するような働き方をするパートタイマーやアルバイトの場合は、要件を満たすような実態が継続的になると判断できれば、すぐさま加入するようにしましょう。社会保険なら120時間~130時間※、雇用保険なら87時間がひとつの目安です。
※正社員の月平均所定労働時間によって判断が変わります。
労働条件通知書の交付内容や労働契約書の締結内容に不備があるとき
従業員に何て言われてしまうのか?
損害は?
必要な項目が漏れている程度であれば、すぐさま損害が発生するわけではないと思いますが、抜けや漏れがあった項目は指摘をしてきた従業員が「注目している項目」と言えるかもしれません。したがって、会社側の対応次第でその項目について納得できなければ、今後何かしらの疑義を求めてくる可能性があるとも考えられるので、慎重に検討して適正化を図りましょう。
対策は?
「言った言わないの水掛け論」に発展させないことが重要です。従業員に気持ちよく働いてもらうためにも、曖昧な項目は正し、必要事項を盛り込んだひな形を作成して、雇い入れ日までに締結するようにしましょう。
特に、有期契約労働者の契約更新手続きには細心の注意を払いましょう。極論を言えば、全く問題行動がない人は多少管理が杜撰であっても後からの修正も大丈夫でしょう。しかし、問題行動のある人とのやり取りに対してはそのような融通は効かない確率が高まります。人の雇用にはその人の人生が掛かっています。気負いすぎるのは弊害もありますが、適切かつ慎重に対応してください。
固定残業代の適正な運用ができていないとき
従業員に何て言われてしまうのか?
損害は?
どこまで会社が固定残業代制度を適正に運用できていたかが焦点となりますが、「支払われていた手当が何時間分の残業代かわからない」「どの給与が固定残業代なのかわからない」など適正な運用と認められないことになると固定残業代部分も含めた金額が残業代計算をするときの単価に組み込まれてしまい、未払い残業代の総額は残業をしていた時間数によってはかなり大きくなってしまうでしょう。
対策は?
一番の問題は「不明瞭さ」です。固定残業代制度を運用するのなら、従業員や従業員の家族が見ても分かるような内容にしておくことをお勧めします。支払う項目についても「固定時間外手当」とすれば従業員の認識を強化することができます。もちろん、給与明細上も同じ項目で表示し、労働条件通知書を交付するときも、労使双方が明確に把握するために、何時間分に相当するのかを明示しましょう。
「労務」も自社単独で管理することは可能ではありますが、やはり、認識ミスや情報不足に陥ってしまいがちです。労働法関連の分野は法改正も頻繁に行われるので・・。
至ってシンプルな管理にするのなら、そんなに問題になることはないとは思いますが、複雑な管理をするのであれば、一度社労士等の専門家に相談するようにしましょう。
休憩を自由に取らせていないとき
従業員に何て言われてしまうのか?
損害は?
労働者の証拠書類にもよりますが、反証できなければ一部の労働時間が認定され、
該当時間(遡及2年※)×単価の支払いが必要になることも・・
※2020年4月以降は3年。
対策は?
適切な休憩を与えるのが非常に難しい職種やサービスがあるのも事実ですが、シフトを調整したり、人員をやり繰りして少しでも確実に取れるように対策を講じていきましょう。
(名ばかりの)管理者に残業代を払っていないとき
従業員に何て言われてしまうのか?
損害は?
管理監督者であることが認定されなければ、2年分※の残業代を遡及して支払うリスクを負うともあります。トラブルが労働審判などに進展すれば、最終的な判断は裁判官が行うことになりますが、避けることのできる争いは避けたいものです。
対策は?
管理者にすること自体は問題ありません。ただし、「管理者だから残業代を払わなくてもいい」という措置に誤りがあるのです。管理者に登用する際には、固定残業制度をいっしょに導入するようにしましょう。
中小企業において、残業代が不要な管理者を設定することは、自ら積極的にリスクを負いに行くようなものなので、避けたほうが無難です。
さいごに
労働基準法は、労働条件に関する最低限の条件を定めた法律ですから、それに違反すると36協定の「損害は?」でお伝えしたような刑罰が適用されます。ただ、よほど悪質ではない限り、この刑罰が実際に適用されることはありません。
だからといって、放置したり、先延ばしにしたりできるものではなく、組織を運営していく上で最も重要な「従業員との信頼関係」を損ねてしまう恐れがあるのです。
労基法と実態に大きく乖離がある場合には、優先順位をつけて計画的に取り組んでいきましょう。前向きに取り組むなかで労使トラブルが勃発するのと、無策で勃発するのとでは、結果に大きな違いが生まれます。
コロナ禍で先行きも依然として不透明ななか、本当に経営の舵取りも大変ですが、頑張っていきましょう!