人生

他人に依存せず悩み抜いた決断は、自分の糧になる

学生時代に、勉強はした(社労士資格を何とか取得)、クラブ活動をやりきった(ボランティアクラブを辞めずに続けた)、遊びきった(朝までカラオケしてバレーボールをした程度ですが・・)、でも、就職活動を前にして、「このままでいいのか?」「他に何をやり切ってないか?」と考えたときに、「外国人とコミュニケーションをしていない!」と思い立ち、一年間休学をして語学留学をすることを決断しました(ちなみに法学部です)。

語学留学も代理店を通して申し込めば手続きも比較的簡単に進むはずですが、「楽して身につくものはない」という信念のもと、代理店を使うことなく、語学留学本から選んだ現地の語学学校と直接やり取りをして手続きを進めることに。その気構えは良かったのですが!実際に行ってみると、「ここは駅前留学か!?」と見紛うばかりの日本人の多さ。

それもそのはず、なんてたって西海岸!自分の浅はかさを恨みつつ、このままここに居続けるか、それとも帰国してしまうのか、それとも他の選択肢を見つけるか?を到着早々、ひたすら悩み続けることに・・・。

ホストファミリーからは、「シンスケ、もっとリラックスして遊んだほうがいいよ」と言われるものの、数々の送別会を大学の同級生たちにしてもらい、”勝手に”期待を背負っているし、自分の金じゃなく、両親に金出してもらってるのだから、そんな気分にゃなれませんわ・・・と。いまは自覚し、できるかぎりコントロールしていますが、「思い込みの激しさ」と「肩の力が余計に入りやすい気質」をここでも遺憾なく発揮。

最終的に、ここに6か月いたとしても、「ちょっと英語が話せる自分」ができあがるしかなく、その結果に到底納得できるものではない、という結論に。

そして・・・

チャレンジしてみたいけど、弱気な自分が邪魔をする

「グレイハウンドバスを使ってサンディエゴからニューヨークへとアメリカを横断し、そのまま東西南北ヨーロッパを巡るバックパッカー」

をするという選択肢をとることを決断。

この間、語学留学を始めてからわずか二週間。

ここからは、まず親に連絡し、決断内容を報告。母親にはかなり心配されましたが(何せ、初の海外旅行、初のひとり旅で5か月間の長期バックパッカー・・)、「子供にはやりたいことは可能な限りやらせてあげる」という教育方針をもっているため、何らかの手段でときどき連絡を入れるという条件のみで承諾(その後、行く先々で絵葉書を家へ送り続けました)。

ホストファミリーにも「あと二週間で語学留学をやめ、バスを使ってニューヨークへ行く」ことを報告(契約は1か月ごとの更新だったのが救い…)。ホストは当然のことながら驚き、親切心から「グレイハウンドバスは低所得者層が使う乗り物だから、危ないからやめときなさい」という言葉とともに引き留められはしましたが、既にそのリスクは織り込み済みだったので、決断が揺らぐことはありませんでした(実際、夜に到着すると危険なバス停があるそうです。危険な目には一度もあったことがないので分かりませんが・・)。

もうひとり報告しなければならなかったのは、chiemiさん。

語学留学中も、「このまま留学を続けることへの疑問」に対して相談に乗ってもらっていたからだ。確か、語学留学本の中で留学中のヘルプデスクみたいなサービスが目に留まり、料金もそれほど高くなかったので保険として申込んでいた。そのChiemiさんに最終的な決断を伝えたところ、「私はサンフランシスコに家族と住んでいるから、良かったら遊びに来ないか?」と。「渡りに船」とはこのことで、このときの提案がどれだけ不安な心の支えになったかは、何十年経った今でも鮮明に記憶していることが物語っている。

留学先の仲良かった(僅かな)メンバーにも報告。

特に仲良くしてもらっていた優しく温厚なスイス人のnickからは、「スイスに来たらぜひ立ち寄ってよ」と言われる。後にこの言葉を信じて訪問すると、「ユアマイゲスト」と歓待してくれて、本当に心温まる時間を過ごすことができた。

ここで反省するとすれば、日本人とはほぼ誰とも付き合わなかったことかもしれない。留学に来た意味を考えれば、理解できなくはないけど、この頑なな姿勢はやはり、柔軟性がなかったと今でも思う。せっかく異国で知り合った日本人同士なのだからもっと交流を持てばよかった。ただ、居心地のいい空間を作らなかったから、バックパッカーをする決断に至ったとも言えるので、ここはやむを得なかったのだと思う。最大の目的は、「外国人とコミュニケーションをとること」だったのだから・・。結果的には、バスで隣り合わせに座った陽気な弁護士さんと2時間ぶっ通しで英会話をすることになったり、日本人を含め200人ほどの人と連絡先を交換することにもなったりと、さまざまな貴重な体験と当初の目的を果たすことができた。ただ、Chiemiさんとnickの連絡先を失ってしまったのは、今でも悔いが残っていることですが・・。

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◆社会に出てからの武器※が何もないという不安に駆られ、周囲と一緒に遊ぶという誘惑を絶ち、社労士資格を取得するという選択肢をとる

※本当の武器は”人間性そのもの”。誤解している人が山ほどいますが、高い学歴、華麗な職歴、高い語学力、難易度の高い資格だけでは、高い生産性を確保する根拠にはなりません。どんなに優れたソフトウェア(経験知、資格等)があったとしても、ハードウェア(仕事をする人格)の機能に左右されてしまうということです。

◆就職する意思はあるものの、後悔のない大学生時代を過ごすために就職活動するという流れから外れ、1年間休学するという選択肢をとる

◆目的に見合わない語学留学をそのまま続けるという流れから外れ、不安だらけのバックパッカーをするという選択肢をとる

◆希望の会社に就職できたものの、顧客のニーズに自分だけの意思で応えることのできない組織体制に葛藤し、「自らサービスをつくり、顧客に直接喜んでもらえる仕事がしたい」という思いを胸に、一企業に定年まで勤めあげるという流れから外れ、社労士として独立するという選択肢をとる

おそらく、すべて、「そのままの流れ」のほうが「楽」だったのかもしれません。

でも、あえてその楽な道を断ち切り、本質的な問いを自分に投げかけ、「石橋を叩いて割ってしまうぐらいの慎重過ぎる傾向の自分」と決別しながら、原点に立ち返り、悩み切った上で行動してきたことが、後悔のない今の環境をつくってきたのだと思います。

敷かれた(ような)レールから外れるのは本当に勇気や覚悟が必要です。でも、悩むということは、少なからずそこに「挑戦したい気持ち」があり、その気持ちに偽りがないのであれば、悩みに悩み抜いた上で進んで良いのだと思う(もちろん、”逆の決断”もありです)。

「最善のはず」と判断した選択肢で失敗することは当然あるでしょう。たぶん、失敗だらけです。うまくいくことのほうが実際は少ないかも・・・。

誰だって、失敗も痛みも辛酸も味わいたくはない。自分の人生は、さまざまな情報を集めながら、悶々と自らの頭で考えて選択していかねばならず、それは「孤独な営み」なのだと思う。だけど、”誰にも依存せず”自分で考え抜いた決断(選択)だからこそ、その決断がうまくいこうが、うまくいかなかろうが、すべてを自分の人生の糧にできるのだと思います。逆に、その選択を誰かに委ねた瞬間、それは自分の選択ではなくなり(当事者意識がなくなり)、人生の糧にできることもないでしょう。

ただ、致命傷になる行動だけは避けたいですよね(私もスイスで登山靴ではなく、普通の運動靴で山を登ったときは、死にかけました・・)。どんな選択をしたとしても、思考を止めず、試行錯誤しながら軌道修正をし続けることは必要なのだと思います。傲慢になると間違いなく成長は止まりますし、安心しきるとゆでガエル状態になる。バランス感覚を保つというのは本当に難しいと常々思います。

ABOUT ME
組織人事コンサルタント・社労士 養父(ようふ) 真介
1977年生まれ。福岡生まれ大阪育ち、東京都杉並区在住。◆大学在学中の1998年に社労士資格を取得。◆コネなし・経験なし・僅かな資金で2008年に独立。◆2010年に「人の問題解決」に必要な根幹技術となる「アセスメントセンター」という「能力診断技法」の専門家を擁する概念化能力開発研究所の奥山氏と出会い、数百時間にも及ぶ「人を見極める」という機会を得て、多くの組織が抱える悩みの根源を知る。◆その後、その知見を活かし、クライアントの組織で発生するさまざまな「人の問題」への対応方法について具体的な解決手段を提示し、組織を健全に保つ手助けを生業としている。